彦根龍潭寺の菩提達磨像(中国禅宗の開祖・達磨は、面壁九年の座禅によって手足が腐り落ちたという。)

井伊家を訪ねて

子が出来ない原因は、直親でもドジョウでもなく、しののメンタル? おんな城主直虎ロケ地巡り&レビュー

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井伊直虎が大河ドラマの主人公に抜擢されたのは、「女なのに城主とは珍しいから」だそうです。
では、なぜ女なのに城主になったかと問えば、「一族の男が次々と死んだから」と答えが返ってきます。別の見方をすれば、「宗主・井伊直盛の子が直虎しかいなかったから」です。
直盛に息子が何人もいれば、直虎が城主になることは無かったでしょう。

──では、なぜ直盛は養子をとらなかったのか、側室を置かなかったのか?
養子や側室が複数いた祖父・井伊直平とは大違いです。
井伊直平の子のうち、南渓和尚は養子、井伊直満(井伊直親の実父)は側室の子と考えられています。側室は酒井忠雄の娘などで、飯尾定重の娘は、井伊直平の墓前で殉死したと伝えられています。

井伊直平と井伊直盛とでは何が違うのか? その答えは正室です。
井伊直平の正室は、井伊家庶子家の井平氏の娘ですので直平の方が家格が上ですが、井伊直盛の正室は主家である今川氏の庶子家・新野氏の娘です。側室を置きたいと主家の今川氏に申し出れば、「今川の娘は役に立たないってことですか?」と睨まれます。
そうでなくても、正室の兄が目付家老として今川家から送り込まれているのですから側室の話はしづらいです。

しかし、嫡男がいなければ家が無くなりますので、井伊直盛は、最終的には井伊直親を養子とすることに決め、今川義元も、親戚の娘が嫡男を産まなかった責任を感じたのか、井伊直親を養子として井伊家を継がせることに同意しました。今川氏としては、今川の血が流れている人間(井伊直盛の子)に井伊家を継いでもらいたいのでしょうが、娘だけでは仕方がありません。

さて、井伊直親と奥山しの(史実は「ひよ」。以下同様)が結婚して4年経ちましたが、子ができません。

次郎法師は未婚ですからアドバイスできません。
「三河のぼんやり」は、ぼんやりしているようでやるべきことはきちんとやってるようで、瀬名姫には次々と子が生まれていますから、次郎法師にとって「子は結婚すれば自然と授かるもの」でしかなく、小野玄蕃に子に恵まれる秘訣を聞いても、
「愛です」
と言うだけで具体策はありません。

直虎の母(しのの義理の母)は、男の子を産んだ経験がありませんから、しのの苦しみは「自分と同じだ」と理解して苦しんだことでしょう。
ただし、自分自身も男の子を産んでいませんからアドバイスなんてできません。優勝経験の無いコーチに「オリンピックで金メダルを取るにはこうすればいい」と言われても、聞く耳持たれづらいのと同じかもしれません。

しのの夫・井伊直親は、信濃国で子を儲けていますから、「子ができないからといって、自分の体に欠陥が無いことは証明されているから、子ができなければ(正室は今川氏ではなく、井伊家庶子家の奥山氏であるから)側室を置けばいい」と意外と楽観的思考だったのかも。さらに、心は、愛は、次郎法師に向けられていて、しのを「嫡男作りの製造機」と考えていたとしたら、問題です。愛の無い家庭に神も仏も子を授けたくはないでしょう。

南渓和尚作世継観音像(「直虎セミナー」より)

南渓和尚は、観音像を彫ったと伝えられています。

この観音像は、大藤寺のご本尊で、井伊直親に子が生まれ、徳川四天王に出世すると、「世継ぎ観音」と呼ばれ、大藤寺は、子授け祈願の参拝客で賑わうようになったそうです。
大藤寺は昭和30年(1955年)、龍潭寺に吸収されて廃寺となり、この時、世継ぎ観音像や井伊直親像などの寺宝は龍潭寺に移されました。世継ぎ観音像は、特別展のみの公開で、特別展は写真撮影禁止ですので、奥浜名湖観光協会主催「直虎セミナー」での写真を使わせていただいております。

さて、今回のタイトルの元ネタは、NHKが日本国憲法公布50周年を記念して制作したドラマ『憲法はまだか』だそうです。
が、ネット上では、タイトルの「赤ちゃん」や小野玄蕃の「愛」という現代用語が問題となっていて、「赤児では?」「今と同じ概念の『愛』が戦国時代にあったのか?」と時代考証&風俗考証担当者が責められているようです。
私ならタイトルは、『世継ぎはまだか』にするかな。
内容的には『しのの苦悩』でしょうけど、主人公の次郎法師も『リーダーシップの覚醒』で活躍します。次郎法師がしのに言った言葉、井伊直親に言った言葉、両親に言った言葉は、すでにお助けマン「龍宮小僧」のレベルを超えて、宗主の言葉です。

 

第8話 「赤ちゃんはまだか」 あらすじ

井伊直親の帰国後。戦国時代でありながら戦場が三河に移ったこともあり、井伊谷は平和な4年間であったと言って良いであろう。唯一の問題は、ひよが妊娠しないことであった(一説に高瀬姫はひよの子だというが、その可能性は低い)。

次郎法師は、しのの苦しみを見かね、お助けマン「龍宮小僧」として、何か良い薬はないものかと昊天に聞くと、
「麝香がありますが……唐渡りの物で、井伊では手に入りませぬが……しかし、相当に値も張りますぞ」と言う。
井伊では手に入らず、さらに高価とあれば、しのが使用しているとは思われず、井伊直満から「亀之丞の笛にあわせるために」とプレゼントしてもらった「呂塗蒔絵鼓」を売ることにした。

売ってしまった「呂塗蒔絵鼓」(「直虎ダイジェスト展」にて)

「そもそも墨染めの身でかような物を持っているのもおかしいのじゃ。『本来無一物』だしの」
ということは、次郎法師は、「井伊直親との結婚はない」と小野政次に示したことになる。
これに対し、小野政次は、「あなたが麝香を使って、井伊直親の子を生めばいい」と真顔で茶化した。
「そうだったのか!」
次郎法師はしのが自分を嫌っている理由を理解した。
人は他人の事情が理解出来ても、周囲の人間が自分をどう見ているは分からないものである。周囲の人間は、私が元婚約者の子を生むのではないかと危惧している。あの南渓和尚ですら「間違いがあってはいかん」と「セコム傑山」(ネット界での呼称)を付けているくらいである。
しのが次郎法師を嫌うのは、お門違い(次郎法師は井伊直親と結婚したいのではという憶測に依る疑心暗鬼)であり、逆恨み(子が出来ないのは自分のせいではなく次郎法師が悪いのだと他人のせいにする八つ当たり)なのであるが、悩んで心が弱まっている人間には、至極当然の感情なのだ。

「自殺したい」
と言っている人間は、自殺する気など無く、誰かの助けを求めているのである。本当に自殺する人間の多くは、周囲に何も語らず、突然、自殺するので、周囲は「なぜ自殺した? どんな悩みがあったんだろう?」と驚 くものである。
同様に、しのも自殺する気など無いと悟った次郎法師が
「はよう」
とけしかけると、しのは短刀を手にした。
「しの殿・・・」
「まさか・・・本気なのか?」
そう声をかけようとすると、しのは驚くべき行動に出た。次郎法師を本気で刺そうとしたのである。

セコム傑山に取り押さえられたしのは、
「私は、必ず、必ず子を産んでみせまする」
と叫ぶ。そこへちょうど姿を現した井伊直親は、泣きわめくしのを見て、「またか」「やれやれ」「もう疲れた」と言わんばかりに、大きくため息をついた。
そのため息で、しのは一層大きな声で泣いた。

この瞬間、次郎法師は、子が出来ない理由が分かって怒った。
「ため息をつくな! あれはそなたの女房であろう。なぜいつも左様に他人事なのじゃ。子は二人で作るものであろう? なぜもっと、共に悲しんでやらぬのだ、悩んでやらぬのだ。なぜしの殿はかように一人なのじゃ」

──結婚しているのにひとりぼっち
それがしのの悩みであり、子が出来ない原因なのだ。
井伊直親はカッコよく、プリンス・オーラを放っているが、行動が独身貴族っぽく、悪い意味で所帯じみていない。

井伊直親も悟ったようで、しのの肩に手を置き、
「しの……辛い思いをさせ、悪かったな。少し話さぬか」
と優しく声をかけた。今までとは違う語調。そして、スキンシップ。
夫婦に必要なのは互いの気持ちを絶えず確認し合うことであり、それには「夫婦の会話」が必要なのである。

次郎法師「あの女は私を逆恨みしたあげく、刺し殺そうといたしました。恐ろしい女子にございます! もし、新しい妾が来れば、必ずや私と同じ憂き目に逢いましょう。なれど、もし母となった暁には、躊躇なく敵を刺し殺す心強き母になりましょう!」
「妾を置いた方が井伊のためになる」と一度は考えた次郎法師ではあるが、ここで方針変更し、井伊直盛夫妻に変則的なしのの応援をした。

「夫婦の会話」を済ませ、夫婦オーラを放つようになった井伊直親夫妻が井伊直盛夫妻の元に二人揃って訪れ、「夫婦の会話」の結論を報告した。
「妾の件、あと1年だけ待っていただくことは出来ないでしょうか?」
これできっと必ず強い子が生まれ、しのも強い母となることであろう。

今日の仏話 「本来無一物」

「本來無一物(ほんらいむいちもつ)」とは、次のような意味がある。

「『色即是空』(万物は実体ではなく空)であるから、執着すべき対象は何一つ無い。たとえそれが元婚約者の父親からのプレゼント、思い出の品であるとしても」

◆中国禅宗の法系 初祖・達磨─二祖・慧可─三祖・僧璨─四祖・道信─五祖・弘忍─六祖・慧能……
五祖・弘忍(ぐにん/こうにん)の法嗣(六祖)は、誰もが長年弘忍に就いて学んできた高弟・神秀(じんしゅう)だと信じていたが、弘忍はこともあろうに慧能(えのう)に継がせた。
弘忍は、夜中に密かに慧能を呼んで伝法し、法嗣の証である達磨伝来の袈裟を渡し、「ここは危険だから逃げなさい」と南へ逃したという。
南の法性寺で、印宗法師が『涅槃経』を講ずる席の前に慧能が合図の旗を掲げると、はためいた。
ここから「風幡問答」が起こり、「非風非幡」(是れ風の動くにあらず。是れ幡の動くにあらず。仁者が心動くのみ。)が印宗法師に認められたという(神秀の北宗禅に対し、慧能の禅を南宗禅といい、臨済宗や曹洞宗など「五家七宗禅」は、全て南宗禅から派生している)。

慧能は、3歳で父を失い、市場で薪を売って母を養っていた。
そんなある日、『金剛般若波羅蜜経』(略称『金剛般若経』、通称『三百頌般若経』。『大般若経』(16会600巻)の『能断金剛分』(9会第577巻)に相当)の読誦を聞いて出家を思い立ち、五祖・弘忍を尋ね、「仏性問答」によって入門を許された。
文字の読み書きができないため、寺の「碓房」(たいぼう。臼で米を挽く小屋)で働くことになった。

──なぜ、弘忍は神秀ではなく、そんな慧能に継がせたのか?

彦根龍潭寺の菩提達磨像(中国禅宗の開祖・達磨は、面壁九年の座禅によって手足が腐り落ちたという)

法嗣を決定するため、弘忍は、「悟りの境地」を示した偈を作れと700人の弟子達に命じた。

まずは、高弟・神秀が、
身是菩提樹(身は是れ菩提樹、)
心如明鏡臺(心は是れ明鏡台の如し。)
時時勤拂拭(時時に勤めて払拭し、)
勿使惹塵埃(塵埃を惹かしむること勿れ。)
【現代語訳】 身は菩提樹、心は曇りのない鏡台である。常々努めて塵や埃を振り払い、身や心が塵や埃に穢されてはならない。

と廊壁に書くと、弟子たちは、「素晴らしい」「これ以上の偈は書けない」「法嗣は神秀に決まりだ」と口々に語った。
寺男として臼挽きをしていた慧能は、字が読めないので、この偈を読んでもらうと、「美なることは則ち美なり。了ずることは則ち未だ了ぜず。(綺麗な偈だが、身や心に対する執着を放下しておらず、まだ『悟りの境地』には至っていない。中国禅宗の真髄は無である。)」と言い、字が書けないので、童子に頼んで自分の偈を書いてもらった。

菩提本無樹(菩提、本(もと)、樹(じゅ)無し。)
明鏡亦非臺(明鏡もまた台に非ず。)
本來無一物(ほんらいむいちもつ)
何處惹塵埃(何れの処にか塵埃を惹かん。)
【現代語訳】 菩提(悟り)には本質的に樹は無く、綺麗な鏡にも台など無い。「本来無一物」(全てのものは、本質的に禅宗の「無」、仏教の「空」である)。無であるのに、どこに塵や埃が付くというのだ?

この偈を読んだ五祖・弘忍は、慧能を六祖とした。
慧能は、「頓悟(とんご。長期の修行を経ないで、ただちに悟りを開くこと)の人」であった。
※下記資料『聯燈會要』参照

 

キーワード:強壮剤

妊娠の秘訣は「愛」だと言われても、抽象過ぎますし、自分が夫婦の中に入って「愛」を育てることも出来ません。
次郎法師は、
──妊娠する薬はないものか?
と博識な昊天に尋ねました。

私に聞いてくれれば、「漢方なら、マムシ、スッポン、オットセイ、マカ、ニンニク。西洋医学ならビタミン、シトルリン、アルギニン、オルニチンのサプリメント」と答えますが、昊天は、川芎(せんきゅう)、当帰(とうき)、淫羊藿(いんようかく)を取り出しました。

「川芎」はセリ科センキュウの根茎。
「当帰」はセリ科トウキ属の植物の根。
「淫羊藿」はイカリソウの茎と葉。
どれもこれも植物由来で効能は「強壮」です。なお、高瀬姫役の髙橋ひかるさんは、タウリン1000mg配合のチオビタドリンクのCMで「はは~」ってやってる子です。

昊天「子を授かる作用があるとされているのはこのあたりですが、既にお使いでいらっしゃるのではないですかね」
次郎法師「そう思います」
どれも有名な漢方薬で、粗末な食事しかしていない僧侶のサプリとして、どの寺にもあり、特に珍しいものではありません。次郎法師も「これなら聞かなくても知っている」って感じです。

当時の寺は、現在の大学に相当する最高学府でした。
ただ、「象牙の塔」であり、俗世間とはかけ離れた世界でした。
「こんな常備薬レベルの藥を飲んでいないわけがない」と二人共考えましたが、しのが用意したのは、川芎でも、当帰でも、淫羊藿でもなく、
──ドジョウ
浜名湖ですから、「ウナギ」かなと思いましたが。
ちなみに、浜松土産の定番である春華堂の「うなぎパイ」が「夜のお菓子」である理由は、「中に入っているウナギの効能が強壮だから」ではなく、「中にニンニクが入っていて、食べると口や吐息が臭くなって人と会うのは控えた方がいいから」だとか(異説あり)。

ドジョウ1匹分の栄養価は、ウナギ1匹分の栄養価に匹敵するそうで、中でも疲労回復に効くビタミンB2の含有量は魚類の中ではトップクラスだそうです。
ヌルヌル部分に強精効果があるとされていますので、子作りには「柳川鍋」がいいと思います。むろん毎日では飽きますので、今日は柳川鍋、明日は串焼き・・・と料理方法を変えてくれれば良いかもしれません。しののように毎日数品一度にド~ンと出されたらたまりません。
かと言って食べなければ「愛してないの?」「子は欲しくないの?」と責められます。子が出来ない原因は、井伊直親の肉体ではなく、しののメンタルだと思いますけどね。

──麝香(じゃこう、ムスク)

次郎法師は知らなかったようですが、現代では有名ですね。麝香は、雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)からの分泌物を乾燥した香料、生薬です。麝香を使った香水は、甘く官能的な香りで、興奮作用、催淫作用があり、麝香を使った生薬には、強心作用があるといいます。

明の生薬学者・李時珍(りじちん)が著した『本草綱目』(1596年)には、「通諸竅、開経絡、透肌骨、解酒毒、消瓜果食積。治中風、中気、中悪、痰厥」(「諸竅(きょう)を通じ、経絡を開き、肌骨(きこつ)に透り、酒毒を解し、瓜果(かか)の食積を消す。中風、中気、中悪、痰厥を治す」。現代語訳は、「朦朧となった意識を回復させる気付け薬であり、気・血・水の経絡(通り道)を広げて滞りを無くし、肌や骨に浸透して、酒の毒を解毒する解毒剤であり、食べた物の消化を良くする胃腸薬・便秘薬でもある。卒倒して痙攣・意識不明、悪寒がして顔面蒼白、精神混濁、頭痛を治す」。)とあります。

この麝香は、ストレス解消に効くようで、中国最古の薬物書『神農本草経』には「久服、除邪、不夢寤・魘寐」とあります。
「久しく服せば、邪を除き、夢寤(むご)・魘寐(えんみ)あらず」
現代語訳は、「長期に渡って服用すれば、悪気(精神的なストレス)が取り除かれて、悪夢を見て飛び起きたり、うなされたりすることがなくなる」とありますので、しのに勧めたいところですが、麝香のような動物性漢方薬(動物生薬)は流産に通じるといいますから、飲まなくて良かったです。昊天がどこで聞いてきたのか知りません。読んで勉強したと思われる『神農本草経』にはそのような記述はありませんし、『本草綱目』にもそのような記述がないばかりか、当時はまだ日本に輸入されていません。「麝香は、飲んで不妊症を治す漢方薬ではなく、匂いを嗅いで性欲を高める香料」というのをどこかで聞いて、間違って覚えたのでしょう。
川芎、当帰、淫羊藿とは違い、高価であるので、荒天は、飲んだことは勿論、見たこともなかったのではないでしょうか。博識の小野政次も、麝香が持つ流産の危険性を知らず、あるいは、井伊直親が使うと思って「言われた通りに買ってきた」ようですね。

 

キーワード:大般若祈祷

『大般若波羅蜜多経』(通称『大般若経』、略称『般若経』)とは、長短様々な「般若経典」を三蔵法師が集大成した経典集で、全16会600巻あります。 通称は『大般若経』で、『般若経』と略称することもあります。
──ああ、終わられましたか。

大般若祈祷

臨済宗で祈祷と言えば、大般若祈祷です。600巻ありますので、読み終えるまでかなりの時間がかかります。井伊直親夫妻は微動だにせず、神妙な顔つきですが、井伊直盛夫妻は足がしびれたみたいですね。次郎法師は初代様に祈りをささげていて、やって来た父・井伊直盛の顔を見て言ったのが先の言葉「ああ、終わられましたか」です。

この正月のご祈祷が効いたのか、この年、しのは懐妊しました。めでたし、めでたし。

600巻ある『大般若経』の収納には大きな箱が4箱必要

 

【どうでもいい話】

『長七郎江戸日記』(日テレ)で、主人公である松平長七郎長頼(松平忠長(徳川家康の孫・徳川秀忠の子)の子)が使う刀は「大般若長光」である。「大般若長光」は、足利義輝が、三好長慶に下賜し、織田信長へ。「姉川の戦い」の戦功により、織田信長から徳川家康へ。そして、「長篠の戦い」の戦功として奥平信昌に与えられた。

それ以降は、奥平信昌の末子で徳川家康の養子になった松平忠明とその子孫が所持したので、松平長頼が所持したのは、別の「大般若長光」なのか? 「長光」は、備前長船派の刀工で、「大般若」というのは、室町時代、他に類をみない「六百貫」という代付がなされたために、『大般若経』が「六百巻」なのと掛けて付けられた名である。

 

■直虎紀行

静岡県静岡市清水区で最も美しい場所といえば、「三保の松原」でしょうか。

三保の松原

「三保の松原」よりも、西行が筆を捨て、雪舟が「日本一」と絶賛した「筆捨の池」からの眺めの方がよかったようですが、

筆捨の池

現在、筆捨の池は埋め立てられ、周囲には家が建ち並んでいるので、今では「三保の松原」の方が圧倒的に美しい!

太原雪斎が住職の時に竹千代が学んでいたという清見寺(清水区興津。「家康手習の間」がある)が紹介されていました。

清見寺(静岡県静岡市清水区興津清見寺町)

清見寺にしても、政治家の「興津詣で」(「坐漁荘詣で」とも)で有名な西園寺公望の坐漁荘(清水区興津)にしても、駿河湾や三保半島に伊豆半島は綺麗に見えますが、富士山が同時に見えた方がいいのでは? 雪舟は清見寺へも行っていますが、それでも「筆捨の池」の方が美しいと判断した理由は、富士山が見えるかどうかの違いだと思います。

建穂寺(静岡県静岡市葵区建穂2丁目)

「廿日会祭の稚児舞」(はつかえさいのちごまい)は、建穂寺に伝わる舞で、旧暦2月20日(現在は4月5日)の静岡浅間神社の「廿日会祭例大祭」の時、建穂寺から静岡浅間神社へ出向いて奉納する習わしでした。

公家の山科言継(やましたときつぐ)の日記『言継卿記』には、義理の叔母の寿桂尼を訪ねて半年間(弘治2年(1556年)9月~翌3年3月)駿府に滞在した時の記録もあり、その中(弘治3年(1557年)2月)に「廿日会」の話題が記されています。

この稚児舞は、徳川家康も大好きで、今川家滅亡と共に衰退していたのを、駿府入城の折、楽器等を寄付し、建穂寺からの奉納を復活させたので、「徳川家康奉納の稚児舞」とも呼ばれています。

※稚児に選ばれるのは大変名誉なことですが、滑稽な「安摩の舞」を見て「稚児が笑うとその年は不作になる」と言われているので、笑いを堪えるのに大変みたいです。

著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派で、武将ジャパンで井伊直虎特集を担当している。

 

■資料:晦翁悟明編『聯燈會要』(1183年)

【原文】有居士。盧惠能。來參。師問。汝自何來。云嶺南。師云。欲求何事。云唯求作佛。師云。嶺南人無佛性。若為得佛。云人有南北。佛性豈然。祖默異之。乃呵云。著槽廠去。能入碓坊。腰石舂米。供衆。師將付法。命門人呈偈。見性者付焉。有上首神秀大師。作一偈。書于廊壁間云。身是菩提樹。心如明鏡臺。時時勤拂拭。莫遣惹塵埃。師嘆云。若依此修行。亦得勝果。衆皆誦之。能聞。乃問云。誦者是何章句。同學具述其事。能云。美則美矣。了則未了。同學呵云。庸流何知。發此狂言。能云。若不信。願以一偈和之。同學相顧而笑。能至深夜。自執燭。倩一童子。於秀偈之側。書一偈云。菩提本無樹。明鏡亦非臺。本來無一物。何處惹塵埃。

【書き下し文】居士あり。盧惠能。来たりて参ず。師問う。「汝はいずこより来るや」。云う、「嶺南」。師云く、「何事をか求めんと欲す」。云う、「唯だ作仏せんことを求む」。師云く、「嶺南の人に仏性なし。若為ぞ仏を得ん」。云う、「人には南北あるも、仏性には豈に然らんや」。祖、默し、これを異とす。乃ち呵して云く、「槽廠に著き去れ」と。能、碓坊に入りて、石を腰きて米を舂き、衆に供す。師、将に付法せんと、門人に偈を呈するを命ず。見性者付す。上首神秀大師あり。一偈を作る。廊壁の間に書きて云う。「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時時に払拭に勤めよ。何れの処にか塵埃を惹かん」。師、嘆じて云く。「若し此に依りて修行せば、また勝果を得ん」。衆皆な之を誦す。能、聞く。乃ち問うて云く、「誦するは是れ何の章句ぞ」。同学、其事を具述す。能、云う、「美なることは則ち美なり。了ずることは則ち未だ了ぜず」。同学、呵して云く、「庸流、何をか知らん、此の狂言を発す」。能、云く、「若し信ぜずば、願くは一偈を以て之を和せん」。同学答えず、相顧て笑う。能、深夜に至り、自ら燭を執りて、一童子を倩し、秀の偈の側に、一偈を書きて云く、「菩提もと樹に非ず。明鏡もまた台に非ず。本来無一物。何れの処にか塵埃を惹かん」。

 

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