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井伊家を訪ねて

駿府城跡と、太原雪斎のいた臨済宗の臨済寺

 

直虎紀行3回目は、今川館のあった駿府城跡と太原雪斎のいた臨済宗の臨済寺だ(TOP画像は駿府城の東御門)。

今川館は、現在、静岡市の中心である駿府城跡にあった。
駿府城は、徳川家康が晩年の隠居の城として築いた城であり、幼いころに家康が人質(竹千代時代)となっていた今川館の跡地に戻ったことになる。

駿府は、駿河の国府の意味で、古代から駿河の中心地だった。今川館はいわば「旧・駿府城」といえる。

しかし永禄16年(1568年)になると、武田信玄が駿河に侵攻。駿府(今川館)城下は炎上し、武田軍の新拠点となった。その後、1582年(天正10年)に家康が、「武田の駿府城」を落城させ、一時は廃城となったとされている。

駿府城の巽櫓と東御門

臨済寺は、今川館の北西にある丘陵「賤機山(しずはたやま)」の麓につくられた今川氏の菩提寺である。
人質時代の家康もこの寺で教育を受けたとされるなど何かと縁は深い。

そのせいか、武田を滅ぼしたあとの家康は新たな駿府の領主として、すぐに臨済寺を復興。このとき造られた本堂は国重要文化財に指定されている。佐野史郎さんが演じていた、今川義元側近の太原雪斎の像は年に2回、1日だけ公開される。

賤機(しずはた)が「しずおか」の語源である。明治2年(1869年)、駿府が静岡と改称された。

 

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