2016年12月14日、井伊美術館(京都市)館長の井伊達夫氏より、「井伊直虎は男だった」なる説が突如として発表された(ハフィントンポスト)。
大河ドラマ『真田丸』が終わり、翌2017年に『おんな城主 直虎』放送を控えたこの時期に、一体、何があったのか?と思われた歴史ファンの方も少なくないであろう。もしこれが事実ならば、ドラマは根底から覆されてしまう。
そんな状況に対し、NHKでは「ドラマはあくまでフィクション」とのスタンスで通す様子だが、さりとて視聴者の我々からすれば何かモヤモヤとしたものが胸の中に生まれているのも事実であろう。
結論から言ってしまえば、井伊達夫氏の発表もまだまだ検証の余地があり、現時点で即断はできないもよう。
というより、そもそも井伊直虎には井伊達夫氏が発表した説以外にも「男性だったのでは?」と思わせるような形跡が残っており、言わば2つの可能性が考えられたりする。
いったいそれはどんな根拠からなのか?
徳政令の花押を著したのが小野政次という可能性
2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎は「女地頭」とも呼ばれている。
地頭とは「領主」という意味であるが、実はその就任期間は短く(約3年・永禄8-永禄11)、直虎は今川氏真の命令で徳政令(借金をチャラにする法律)を実施すると、間もなく任を解かれ、後釜には井伊家家臣の小野政次が座った。
政次は、今川を後ろ盾にして、井伊家内での下剋上を果たしたのである。
ドラマでは、柴咲コウさんが井伊直虎を演じ、高橋一生さんが小野政次(鶴丸)役。
2人は幼馴染でもあり、その辺の感情のもつれも見どころの一つとなりそうだが、2016年12月になって
「直虎が男性だった」
とする新説がにわかに話題になったのは先に説明した通り。
一言で申し上げると、徳政令の史料にある「次郎直虎」が男性だった――それを裏付ける別の史料が見つかったのである。
しかし、もとより直虎の男性説は厳密には2つ考えられ、その一つが「小野政次の井伊直虎」説である。井伊達夫氏の説を置いておき、まずはこちらの解説から取り組んでみたい。
冒頭で、井伊直虎が徳政令を実施し、その後、小野政次が下剋上で地頭職を奪った――と著した。
このとき発布された徳政令の承認書には「花押」が署名されているが、そもそも「花押」は身分の高い男性しか用いることができず、女性の直虎が書いたものではないという考え方である。
では、署名主は誰なのか? その第一候補に挙げられるのが小野政次というワケだ。
小野氏の出自には2つの説がある。
1つは小野(浜松市浜北区尾野)に住んでいた小野篁(9世紀の天才的貴族)の後裔とする説で、もう1つは小野(浜松市北区細江町小野)に住んでいた井伊家庶子家とする説。しかし、小野氏の名前が井伊氏の系図には載っていないことから、現段階では小野篁の後裔説の方が有力と思われる。
確かに、大河ドラマの時代考証を務める大石泰史氏は、御著書『井伊氏サバイバル五〇〇年』(星海社:2016年10月)の中で、「英比信濃守小野氏信」という人物に注目、「英比(えいひ・いひ)」は「井伊」であり、「信濃守」は井伊直平や直盛が使っている受領名で、更には中野越後守直由も井伊直親の後見人に指名された時に同名を名乗ったことから、小野家が井伊家庶子家であるとしている。
しかし、そもそも小野氏が井伊家庶子家であれば、井伊家嫡流に男性がいなくなった時点で宗主となり、堂々と井伊次郎直虎と名乗っても良さそうである。そうでなかったということは、やはり小野政次が今川家の後押しで井伊家の宗主となり、仮に政次が直虎の正体だとすれば、徳政令に「次郎直虎」として花押を書いたのであろう。
『雑秘説写記』という書物の中に「井之次郎」
もう一つの説が、先日の新聞でも発表されたばかりの新史料である。
『雑秘説写記』という書物の中に次のような記載が見つかった。
『新野親矩の兄である関口氏経の息子に「井之次郎」と名乗らせて井伊谷へ派遣した』
この「井之次郎」が、徳政令施行に署名した「次郎直虎」ではないか――というのが今回の新説である。
『雑秘説写記』とは、彦根藩筆頭家老・木俣守安※が聞き書きした記録を、享保20年(1735年)に編集した『守安公書記』全12冊のうちの1冊である。
説自体は、前述の通り、2016年12月、井伊美術館(京都市)館長の井伊達夫氏によって発表。
もしこれが正しければ、井伊谷徳政令に署名したのは「おんな城主・直虎」ではなく「関口氏経・井之次郎親子」だということになる。
新野親矩と関口氏経が兄弟だというのは初耳だったが、確かに「井之次郎=次郎直虎=井伊直虎」であれば、井伊直虎が井伊氏系図に載っていない理由もスッキリする。直虎が「女性だったから」ではなく、「関口氏あるいは新野氏だがら」(井伊家の人間ではなく、今川家
更に、次郎法師に代わって地頭になったのが小野政次ではなく、この井之次郎であれば、「小野政次による横領はなかった」と主張してきた親小野派の研究者にも朗報となろう。
いずれにせよ今後の研究が待たれるところ。現時点でスッキリと回答を申し上げられないのが残念だが、私としても行く末を楽しみにしており、機会があればあらためて発表の場を設けさせていただきたい。
※ 新野親矩の娘と北条家家臣・狩野主膳の子で木俣守勝の養子