ご本尊の十一面観音像のお厨子とお前立(冨賀寺)

井伊家を訪ねて

近藤氏の菩提寺から盗まれたとする本尊様は「行基作十一面観音像」がモデル!?

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「おんな城主 直虎」に登場する龍潭寺にはいくつかの謎があります。

「直虎之寺」龍潭寺御朱印(「虚空蔵佛」とある)

ネットでは、
「当時の龍潭寺の庭鳥は、チャボ(矮鶏)ではなく、ショウコク(小国鶏、正刻)だろ」
とか、
井伊直虎小野政次南渓和尚の部屋で囲碁をうつようになって、南渓和尚はどこで寝てるんだ?」(今回、小野政次は、自宅で1人でうっていたので、南渓和尚は自室で寝られた。そして龍雲丸が忍び込んできた。)
と様々。そのうち、「龍潭寺七不思議」としてまとめられることでしょう。

私が不思議に思っているのは、
①龍潭寺の位置
②龍潭寺のご本尊
です。

「井の国歴史探訪」地図に「井伊氏居館」と「龍潭寺」を朱書

龍潭寺の位置については、ドラマでは、井伊氏居館の「すぐ裏」と何度か出てきました。
井伊氏居館は、城山の南東麓にあり、南向きに建てられていますので、「すぐ裏」とは、北側の岩屋稲荷(渭伊郷一宮跡地。現在、渭伊郷一宮は二宮神社(旧・渭伊郷二宮)に、渭伊郷三宮は白山神社に合祀)を指すように思われます。
実際の龍潭寺は、井伊氏居館の南に離れて建っていて、「すぐ裏」という表現にはあてはまりません。

「井伊谷地区中央古図」(赤点で囲まれているのは新野屋敷)

井伊氏居館は、平安末期に井伊初代共保が建てたのですが、その後、その井伊氏居館を本丸として、二之丸、三之丸が増設され、屋敷城「井伊谷城」となりました。
三之丸は家老の小野屋敷で、奥山へと続く「半僧坊道」(現在の「みそまん通り」)を挟んで新野屋敷がありました。

小野屋敷跡

現在、小野屋敷跡では、直虎グッズの販売が行われており、休憩所も設けられています。
向かいの新野屋敷跡には、銀行が建てられましたが、現在は民家になっています。

岩屋稲荷の社殿の内部(巨岩を奥の壁とするという意味では、ドラマの龍潭寺と同じ造り)

 

さて、龍潭寺は、天平5年(733)に行基が建てた「八幡山地蔵寺」(ご本尊は行基作地蔵菩薩像)の後身寺で、現在のご本尊は虚空蔵菩薩像です。(御朱印にも「虚空蔵佛」と大きく書かれています。)しかし、ドラマの、龍潭寺のご本尊は、私の眼には大日如来座像に見えます。

また、ご本尊の後ろには壁が無く、巨岩が突き出すという城山山麓の岩屋稲荷(背後の巨岩を「烏帽子岩」という)と同じ構造になっています。

・「巨岩の前の寺」という意味では奥山の背山薬師堂(浜松市北区引佐町奥山背山。背後の巨岩を「白岩」という)と同じ。
・油田の日輪山大円寺(浜松市北区細江町気賀油田)は、巨岩の上に大日如来像を置き、お堂で覆ったのが創始だという。
※虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ):「知恵の菩薩」であり、人々に知恵を授けてくれるという。

浜松市で有名なのは、「新橋(にっぱし)の虚空蔵さん」(正式名称:宝的山蔵興寺。本尊:阿弥陀如来、虚空蔵堂本尊:虚空蔵菩薩。静岡県浜松市南区新橋町)。
2月第2土曜日と翌日曜日の大祭には、達磨を買ってご祈祷していただこうと、多くの受験生が集まる。

静岡県で有名なのは、井伊直孝を身に宿した於阿古が、井伊直政や花から逃れて隠れ住んだという「浜当目の虚空蔵さん」(恵目山弘徳院とその末寺の香集寺で、弘法大師が、聖徳太子作虚空蔵菩薩像を安置したのが創始)である。
案内板には、伊勢・朝熊の勝峰山兜率院金剛證寺、京都・嵐山の智福山法輪寺と共に、(聖徳太子が、1本の木で3体の虚空蔵菩薩像を彫った)一木三体の「日本三大虚空蔵菩薩」とあるが、普通、「日本三大虚空蔵菩薩」と言えば、福満虚空蔵菩薩(円蔵寺・福島県)、能満虚空蔵菩薩(清澄寺・千葉県)、大満虚空蔵菩薩(日光寺・茨城県)を指す。

新橋の虚空蔵さんも、浜当目の虚空蔵さんも、彦根の龍潭寺も、「達磨市」(達磨祭)で有名ですが、井伊谷の龍潭寺(遠江井伊氏の菩提寺)でも、妙雲寺(井伊直虎の菩提寺。ご本尊は虚空蔵菩薩)でも、達磨祭は行われません。とはいえ、ご本尊は虚空蔵菩薩ですので、龍潭寺や妙雲寺へ行った時には、「良い知恵をお授け下さい」と拝んでいます。

学問の仏様といえば、虚空蔵菩薩に、「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩で、学問の神様といえば、天神様こと菅原道真ですね。
龍潭寺横の井伊谷宮のご祭神の宗良親王も学問の神様で、井伊谷宮のご神徳は、「学徳成就・合格」ですので、 龍潭寺→井伊谷宮と巡拝すると、頭が良くなって検定試験に合格するんじゃないかと思います。「直虎検定」を受けてみようかな。

 

第23話 「盗賊は二度仏を盗む」 あらすじ

前回、ぼたん鍋パーティを通して「これで、『同じ釜の飯を食った仲間』になった」と、領民と龍雲党の親睦を図ろうとした井伊直虎だが、肝心の「ぼたん」(イノシシの肉)を用意できなかった。(気賀の市場で買ってくるとか、領民(猟師)に呼びかけるとかすればいいのに。それに、「領民」って井伊谷と祝田と瀬戸にしかいないのか?)

ぼたん鍋パーティ・・・この呑気さ、のんびり感・・・。
「本当に今は戦国時代?」
と感じさせられる。
子供の頃の仲良し感が強いほど、井伊直親の死が悲しくなるように、今の平和感が強いほど徳川家康の侵攻による小野政次の死が悲しくなるって構図(構想)なのか。

これに対し、近藤康用は立派なイノシシを捕らえ、屋敷で鈴木・菅沼氏と鍋を囲んで情報交換。
その時の相談結果なのか、近藤氏のオリジナル案なのか分からないが、「近藤氏の菩提寺の仏像が盗まれた」という策が考え出された。これは、今までの悪事(盗伐、誘拐・監禁)もあり、今度という今度(本尊窃盗)は許せないぞ! 「仏の 顔も三度」だ! 「龍雲党を差し出せ~!」という作戦である。
※近藤康用(やすもち):近藤信用(のぶもち)は、徳川家臣となると、徳川家康から「康」の一字を頂いて「康用」と改名した。この第23話の時点では、正確にはまだ「信用」である。
※冨賀寺(ふかじ):近藤氏の菩提寺。愛知県新城市中宇利高田。

本尊窃盗は嘘で、「龍雲党を渡せ」という口実であろうが、証拠はないし、龍雲党が近藤領で盗伐をしたのは事実であるから、龍雲党を近藤氏に引き渡さないわけにはいかない。(引き渡せば処刑されるであろう。)
近藤氏の菩提寺である冨賀寺の住職も近藤氏であるので、口合わせは容易である。
今回登場した住職は、私の眼には近藤康用より年上に見えたが、朝瑜ではなく、近藤康用の弟・學禅とのことである。

《冨賀寺住職》
・開山:行基(ぎょうき):大宝元年(701)創建
・・・
・朝瑜(ちょうゆ):近藤満用の三男(近藤忠用の弟)
・學禅(がくぜん):近藤忠用の次男(近藤康用の弟)
・・・
・現住:筏津雄元(いかだつゆうげん/たけはる)

南渓和尚は、今川義元の葬儀では、安骨大導師に選ばれた高僧ですから、 學禅、たじたじ。策士、策に溺れ、學禅は、近藤康用と共に南渓和尚にお灸をすえられた。
前回は、「乙女ゲーム 直虎」の龍雲丸ルート開通って感じで、今回はいい雰囲気に進んだが、なんと、急転直下のバッドエンド! その理由が、
「空に、雲があったからでさぁ」(by 龍雲丸)
と、どこまでも自由人。
(ちなみに、役作りのお手本は、虎繋がりなのか、「フーテンの寅」さんとのこと。)

(つづく)

 

今回の言葉 「仏の顔も三度まで」

【意味】「ニ度あることは三度ある」と言うから、三度までは許す。しかし、四度目は優しい仏様であっても許さない。
【由来】 釈迦族に恨みを持つコーサラ国のヴィドゥーダバ王(波斯匿王の子の毘瑠璃王)は、釈迦族を殲滅しようと進撃するが、釈迦はこれを三度止めた。しかし、四度目は、宿縁の止め難きを知り、抵抗しなかったので、釈迦族は滅ぼされた。「仏様でも、四度目には態度を変える」という意。
《別説》 「仏の顔も三度まで」とは、上方いろはかるたの「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略であり、正確には「仏の顔も三度」であって、「無礼な行為を二度は許すが、三度目は許さない」の意。

──我らは、きゃつらに木を盗まれ、此度は菩提寺の本尊まで盗まれたので御座いますぞ。これ以上の侮辱は、もはや耐えかねまする。(by 近藤康用)

「馬鹿と鋏は使いよう」(馬鹿であっても、切れない鋏であっても、使う側に力量があれば、その能力を活かすことが出来る)と言うから、盗賊の「盗む技術」を井伊家に役立たせることは、馬鹿や切れない鋏よりも楽に使いこなせるハズ。
「盗む技術」と「忍ぶ技術」には共通点が多いから、龍雲党は、樵としてじゃなく、忍者として雇っちゃいなよ。
龍雲丸は、農民に字を教える寺子屋の先生でもいい。

いずれにせよ、今回は「郵便配達は二度ベルを鳴らす」というよりも、「ミッション:インポッシブル(スパイ大作戦)」的な内容でした。
次回、バイバイした龍雲丸が戻ってきたら、「盗賊は二度ベルを鳴らす」だね。

 

キーワード:近藤氏(宇利近藤氏)

藤原秀郷(俵藤太)…近藤脩行…直満─満乗─満用─乗直─忠用─信用(康用)…壽用…

全国軒数第1位の苗字「佐藤」の祖は、ムカデ退治で有名な藤原秀郷(俵藤太)ですが、近藤氏の祖も、この藤原秀郷です。
彼の後裔の藤原脩行は、近江国の国司の掾に任命されると、「近江掾藤原」を略して「近藤」と名乗りました。(「近藤」さんは「近江国の藤原」さん、「伊藤」さんは「伊勢国の藤原」さんです。)

近藤脩行の後裔の近藤直満は、三河国の宇利庄(現在の愛知県新城市)に移住し、彼の孫・満用と曾孫・乗直は、松平清康(徳川家康の祖父)に仕え、鹿狩で腕力を発揮し、家紋「鹿角」を授かりました。
※国司(こくし、くにのつかさ):現在の県知事。官位は、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)に分かれ、「守」は中央政府から派遣された。井伊氏は代々遠江国の国司の介であったので、本拠地の地名「井伊」と組み合わせて、「井伊介」と名乗り、「日本八介」のメンバーに加えられた。

近藤宗家(金指近藤家)の通称は「登助(のぼりのすけ)」で、気賀近藤家の通称は「縫助(ぬいのすけ)」。

宇利城(近藤氏の居城)

冨賀寺近くの宇利城は、文明年間(1469-1487)に熊谷重実(『平家物語』での「青葉の笛」を持つ平敦盛との一騎打ちで知られる熊谷直実の子孫)が築いた城です。

・享禄2年(1529)、三河平定を目指す松平清康(徳川家康の祖父)が11月4日、三千余名を率いて、西三河の安祥から出陣して東三河に侵攻し、冨賀寺(裏山の四十九院)を本陣にして、宇利城を攻め落としました。
・天文14年(1545)、今川義元は、宇利城を落とし、近藤満用に在城させた。
・永禄11年(1568)、松平清康をリスペクトする徳川家康は、この冨賀寺を本陣にして一泊し、戦勝祈願をすると、翌朝、今川方から徳川方へ寝返った近藤・鈴木・菅沼氏ら「井伊谷三人衆」の案内で、峠(赤石山脈)を越えて遠江国へ入りした。
・近藤氏は、武田軍の攻撃を受けて居城を柿本城に移したことから、宇利城は廃城になった。

 

キーワード:冨賀寺(宇利近藤氏の菩提寺)

近藤氏の菩提寺は、冨賀寺です。

約800本の紫陽花が美しい冨賀寺

大宝元年(701)に行基が建てた寺です。

冨賀寺のご本尊は行基作「十一面観音像」です。秘仏ですので、お厨子に入れられていて見られません。

そこで、平成9年(1997)、福井照明作「十一面観音立像」が「お前立」(まえだて、まえだち。秘仏である本尊の前に置いて、本尊の代わりに拝む「前立本尊」のこと)として設置されました。

ご本尊の十一面観音像のお厨子とお前立(冨賀寺)

「康久作十一面観音立像」がご本尊ということでしたが、実際は「行基作十一面観音像」であり、「康久」は、初耳でしたので、検索したところ、天平13年(741)に行基が建てた世義寺(三重県伊勢市)にある天文16年(1547)作の不動三尊像に「仏子京五条康久法眼」とあるそうです。「康久」は、井伊直虎と同時代の人なのか・・・天文16年(1547)というと、七条仏所(慶派)の仏師でいえば、康正(1534-1621)の時期ですね。

《七条仏所(慶派)の系譜》

※康尚─定朝(?-1057)─覚助(?-1077)─頼助(1054-1119。奈良仏師)─康助─康朝─康慶─運慶(?-1223。康慶の子)─運助(運慶の六男。運慶の三男・康弁が七条中仏所、四男・康勝が七条西仏所、運助の子・康祐─康成が七条東仏所)─康俊(康祐の兄)─康依─康湛─康吉─康永─康珍─康琳─康秀─康正(1534-1621。「定朝二十一代」と自称)─康猶(康正の嫡子)─康音(康猶の嫡子)─康知(康嫡の猶子)─康乗(康知の嫡子)─康祐(康知の弟子)…

──享和元年 満用十一代之孫 登助壽用再興
享和元年(1801)、近藤寿用(金指近藤家)が近藤家墓所を整備しました。
右端が近藤直満(戒名「為幸」)ら4名の墓で、その左が近藤満用、左端が近藤忠用の墓になります。

近藤家墓所の近藤家七代の墓(冨賀寺)

《近藤忠用の後裔の墓》
・近藤康用の墓:龍潭寺(井伊谷)
・近藤秀用の墓:大安寺(本郷)→称仰院(湯島)
・近藤季用の墓:龍洞院(都田)→実相寺(金指)
・近藤貞用の墓:宝林寺(瀬戸)

中世墓碑群(冨賀寺)

冨賀寺の「中世墓碑群」に眠っておられるのは、歴代宇利城主(熊谷氏、近藤氏)とその一族だと思われますが、よく分かりません。どれが近藤氏のお墓なのか分からなくなったので、近藤寿用は、「近藤家墓所」(4基の五輪塔)を整備したのでしょう。

 

キーワード:「五近藤」(江戸時代の近藤氏)

「近藤」というと、全国的には、近藤周助の養子となった新撰組局長・近藤四代勇(旧姓・宮川)が有名ですね。天然理心流の創始者・内蔵之助(天真正伝香取神道流の開祖・飯篠家直の末裔)は、近藤弥吉政竜を破ると、近藤姓を襲名し、「近藤内蔵之助」(近藤家初代。四代目が近藤勇)と名乗りました。この内蔵之助も近藤政竜も井伊谷の生まれだそうですが、詳細ははっきりとしません。(近藤弥吉は、上刑部村の近藤弥右衛門の後裔か?)

近藤勇首塚(法蔵寺)

井伊谷で「近藤」といえば、ドラマに登場する「井伊谷三人衆・近藤秀用」(通称「登之介」)とその子孫で、近藤秀用の曾孫・近藤貞用という人は、佐々木味津三『旗本退屈男』の主人公である早乙女主水之介(「諸羽流正眼崩し」の達人)のモデルであり、 歌舞伎『極付幡随長兵衛』に登場する近藤登之助のことです。

近藤秀用自身も、井伊直政のもとを出奔後、上刑部村で剣術を教えて生活していた(その後、危険を感じて伊勢国へ逃亡)といいますから、かなりの腕前だったのでしょう。

後に近藤秀用は、初代井伊谷藩主になりましたが、井伊谷藩が1万石以上あり、「藩主」「大名」の煩わしさから、近藤家を5つに分け、大名から旗本になりました。(井伊谷藩は、近藤秀用の1代のみ。)この時に生まれた5つの近藤家を総称して「五近藤」と言います。

 

近藤秀用の遺族「五近藤」

・金指近藤:近藤季用(近藤秀用の長男)─近藤貞用…壽用…
・石岡(花平)近藤:近藤用忠(近藤秀用の弟)─近藤用尹
・気賀近藤:近藤用可(近藤秀用の次男)─近藤用治

・井伊谷近藤:近藤用義(近藤秀用の三男)─近藤用将
・大谷近藤:近藤用行(近藤用可の長男)

金指近藤家陣屋(現在は浜松湖北高校)付近の関屋

花平近藤家陣屋(学校になったが、現在は民家)

気賀近藤家陣屋(現在は気賀小学校)前の関屋

井伊谷近藤家陣屋(井伊谷城三之丸)周辺

大谷近藤家陣屋(現在はミカン畑)

 

著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派で、武将ジャパンで井伊直虎特集を担当している。

 

主要キャラの史実解説&キャスト!

井伊直虎(柴咲コウさん)
井伊直盛(杉本哲太さん)
新野千賀(財前直見さん)
井伊直平(前田吟さん)
南渓和尚(小林薫さん)
井伊直親(三浦春馬さん)
小野政次(高橋一生さん)
しの(貫地谷しほりさん)
瀬戸方久(ムロツヨシさん)
井伊直満(宇梶剛士さん)
小野政直(吹越満さん)
新野左馬助(苅谷俊介さん)
奥山朝利(でんでんさん)
中野直由(筧利夫さん)
龍宮小僧(ナレ・中村梅雀さん)
今川義元(春風亭昇太さん)
今川氏真(尾上松也さん)
織田信長(市川海老蔵さん)
寿桂尼(浅丘ルリ子さん)
竹千代(徳川家康・阿部サダヲさん)
築山殿(瀬名姫)(菜々緒さん)
井伊直政(菅田将暉さん)
傑山宗俊(市原隼人さん)
番外編 井伊直虎男性説
昊天宗建(小松和重さん)
佐名と関口親永(花總まりさん)
高瀬姫(高橋ひかるさん)
松下常慶(和田正人さん)
松下清景
今村藤七郎(芹澤興人さん)
㉙僧・守源

 

 

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