大河ドラマの世界を史実で深堀り!

大河マニアックス

左甚五郎作の龍(龍潭寺)

井伊家を訪ねて

髭を折られ、目を潰され、胴の斬られた左甚五郎作の「龍」たち

今回のタイトルは「虎と龍」。かっこいい!(「虎と竜」「寅と辰」よりいい!)
私なら(井伊直親小野政次に続く)「第三の男、その名は雲龍丸」としたかも。

さて、
──龍は夜になると田畑を荒らすらしい。

井伊直盛の菩提寺(現在は遠江井伊氏の菩提寺)である井伊谷の龍潭寺の左甚五郎作の龍は、髭が折られている。

髭を折られた左甚五郎作の龍(龍潭寺)

夜になると、田畑を荒らすので、髭を折ったら改心したのか、田畑を荒らさなくなったという。

奥山初代朝清の菩提寺(現在は奥山氏の菩提寺)である馬門の正法寺の左甚五郎作の龍は、目を潰されている。

目を潰された左甚五郎作の龍(正法寺)

夜になると、田の水を大量に飲むので、目を潰したら改心したのか、田の水が減ることがなくなったという。

松下常慶の菩提寺である松下の正福寺(龍巣院末寺)は廃寺となり、本山の龍巣院(龍に巣を譲ってもらって建てた寺)に吸収された。その龍巣院の龍は、胴を斬られている。

胴を斬られた龍(龍巣院)

夜になると、田畑を荒らすので、北簡元寿和尚(武田勝頼の旗本頭であったが、戦死者よりも餓死者の方が圧倒的に多かったと言われる「高天神城の戦い」で、世の無常を悟って出家)が胴を斬ったら改心したのか、田畑を荒らさなくなったという。

夜に田畑を荒らすのは、猪であろう。

現在、日本では、猪や鹿が大繁殖しており、林業や農業に与える被害額は、毎年、数億円規模になるという。猪が増えた原因は、瓜坊(猪の子)を食べる狐の減少で、鹿が増えた原因は、鹿を食べる狼の絶滅によるという(要するに、食物連鎖の崩壊ということ)。

♥型の意匠は、「猪鼻」じゃなくて、「猪目」だよ。日本に古来からある文様の一つで、猪の目力で魔を追い払う!

龍潭寺の灯籠の茶器・茶筅と猪目

 

第22話 「虎と龍」 あらすじ

虎(井伊直虎)と龍(龍雲丸)の改革が始まった。

領主は奪うだけではなく、与えられることも示したいのだという。

それにしても、犯罪者を捕らえて強制労働させるとか、刑務所で更生した元犯罪者を採用するなら分かるが、木を盗んだ盗賊、誘拐して身代金を要求した誘拐犯を捕らえて処刑せずに、「木を伐るのが上手い」という理由で、罰を与えずに採用するって・・・。
いくら人がいないからといっても、生き馬の目を抜くような人達を採用し、近くに置いていいのか?
甘過ぎないか? 信用して大丈 夫なのか?

で、どうなったかと言えば、
①賭博を始め、負けて、生活苦になった農民が出た。
②酒を飲まれたり、娘が襲われそうになったりした。
という事態になった。

①については、「カジノ法案について考えよう」、②については、「隣に引っ越してきた人と仲良くするにはどうしたらいいか考えよう」という問題提起にも思われる。(考え過ぎ?)
①については、領主の賭博禁止令で解決。

②については、イノシシ鍋を囲んでの「飲みにケーション」で解決を図ろうとする。
それは、「一緒に料理を作って仲良くなる」という高校に入学してすぐの野外活動的な活動ではなく、「新参者に郷土料理を振る舞う」という、二・三年生による新入生歓迎コンパ的活動ではあったが、「仲の悪い者同士を組んで、猪狩をさせる」という工夫はあった。

──幽霊の正体見たり枯れ尾花
自分たちとは見た目(衣服)や生活スタイルが異質な新参者がやって来ると、警戒する、恐ろしいと思う。
「疑心(疑いの念)、暗鬼(妄想から生じる恐れ)を生ず」と言う。相手を知らないから怖いのであって、知ってしまえば「赤鬼ではなく、同じ人間」(南渓和尚に言わせれば「元は皆赤子」)と分かる。

今の浜松市では、新参者については、「一緒に浜松祭りに参加すれば仲間」である。
5月3・4・5日に、力を合わせて大凧を揚げたり、力を合わせて御殿屋台を曳いたり、お酒を飲みながら互いを称え合ったりして仲良くなる、地域の一員になる。

秋葉の火防祭「火の舞」(秋葉山本宮秋葉神社・上社)

【直虎紀行】 秋葉山
浜松で「浜松まつり」と共に全国的に有名なのが12月15・16日の「秋葉の火祭り」(火防祭)である。秋葉山は井伊領ではなく、天野領にあるので、取り上げるのはどうかとは思うが・・・。

《問題》表参道には杉の巨木がある。裏参道には無い。なぜか?
《解答》山火事の延焼で、町へ火の手が・・・と思われた時、秋葉山でピタリと火が消えた。裏参道の木は全焼したが、本殿や表参道の木は燃えなかった。さすが、火防の神である。

秋葉山の山頂には井戸がある。行基が三尺坊に祈ると、雷鳴が轟き、水が湧き出したという。現在、手水舎の水も、食堂の水も、防火用水も、全てこの清水を使っている。
とはいえ、現在はポンプを使って汲み上げ、飲めるように消毒をしてはいる。

(つづく)

 

今回の言葉 「龍争虎斗」

【原文】 「收拾了龍争虎斗心。」
【書き下し文】 「龍争虎斗」の心を收拾了(おわ)る。
【意味】 「龍と虎の争いのような死闘を繰り広げよう」という心(気持ち)を収拾(整理)した(鎮めた)。
【出典】 鄭徳輝『王粲登楼』(四)

「虎斗龍争」は、「竜虎相搏(う)つ」、「竜虎相搏」(りょうこそうはく)、「竜攘虎搏」(りょうじょうこはく)、「竜騰虎闘」(りょうとうことう)ともいい、龍対虎の熾烈な戦い、最強vs 最強、宿命のライバル同士 の対決を指す(虎より獅子の方が強そうだし、龍は虎や獅子よりも圧倒的に強いと思うが・・・)。

戦国時代では、「甲斐の龍」こと武田信玄と、「越後の虎」こと上杉謙信の戦いをいう。(武田信玄が「甲斐の虎」で、上杉謙信を「越後の龍」とする文献もある。)

旭英筆「龍虎古襖」(西の虎・東の龍)より「西の虎」(龍潭寺)

現在では、中日ドラゴンズと 阪神タイガースの戦いを指すとか。(「タツノオトシゴ」は、「竜の落とし子」だというけれど、「シーホース」(海馬)であるから「馬」であり、「百瀬の滝を登りなば、忽ち竜になりぬべき♪」という「コイ」こそ、「竜の子」ではないのか? 赤備えの広島カープは、リトルドラゴンであり、今年(2017年)の 「龍虎の争い」は、広島 vs 阪神ではないのか?)

※「竜虎相見(まみ)える」とは、「強豪同士が対面すること」「顔を合わせること」であって、まだ戦ってはいない。
※「両虎の戦い」「両虎の争い」「両虎食を争う時は狐其の虚に乗る」「両虎相闘いて駑犬その弊を受く」という言葉もあるが、こちらは強い虎同士が戦ってるうちに弱い狐や犬が「漁夫の利」を得るという意。

虎(井伊直虎)も龍(龍雲丸)も個性的である。
ぶつかり合って喧嘩別れするのか、分かり合えるのか?
二人が喧嘩している間に「漁夫の利」を得る者が現れるのか?
今後の展 開が楽しみである。

 

キーワード:大鋸(おが)

第19話「罪と罰」で、伐採された木の切り口を見た時、
「綺麗だ。鋸で切ったのかな?」
と思いました。

テーマ展「浜松の林業の道具」(浜松市博物館)

常識的には、伐採には伐採斧(フォレストアックス・現在はチェーンソーかハーベスター)が使われるのでしょうけど、それだと「コーン、コーン」と大きな音が響き渡りますので、盗木していることがバレてしまいます。

「盗伐」なので、鋸で静かに切り、木が倒れる時も、大きな音がしないように、縄と滑車を使って静かに倒したことでしょう。

しかし今回は「仕事」ですので、やりたい放題!
元樵の力也さんの腕力の見せどころです!

『和漢三才図会』には「大鋸(オガ)」として、大鋸(オガ)、前挽大鋸(マエビキ。上の写真では「コビキノコ」)、台切大鋸(ダイギリ。上の写真では「ダイギリノコ」)の3種類が載っています。

「大鋸」(『和漢三才図会』より)

杉や檜は繊維が綺麗に通っているので、板にするには割ればいいのですが、東大寺の再建頃から木材が不足し始め、他の樹種にも手を出し、丸太を板にするためにニ人で挽く「大鋸」という縦挽き鋸を中国から輸入します。そして江戸時代には「前挽」(木挽き鋸)に変わりました。遠江国では、掛塚製の前挽が使われています。※使い方は、 葛飾北斎『富嶽三十六景』「遠江山中」を御覧下さい

丸太に切り揃えるには、「ダイギリ」(漢字表記は「台切」「大切」「大鋸」)という二人で挽く横挽き鋸が使われました。これが今回、ドラマに登場した大鋸です。

「遠州地方の木材」「掛塚港の鋸鍛冶」(竜洋郷土資料館)

遠州地方の木材(東京の消費木材と遠州産木材 ─明治の初め─)
明治時代の初め、木材の大消費地であった東京において、遠州地方(静岡県西部地方)の地位はまことに高く、紀伊の国(和歌山県)に次ぐ金額を誇っていた。(紀伊は23.5%・遠州は16.8%)
天竜川流域の山地は「天竜美林」と呼ばれるように、特に杉・ひのきを多く産し、東京に送られる杉・ひのきの20%は遠州産で占められていた。
これは、江戸時代から「御用林」として幕府から注目されており、また天竜川を利用しての流送(筏流や管流)や、掛塚港からの船運の便のよかったことなどによるのである。

 

掛塚港の鋸鍛冶
掛塚港の主な移出品であった木材は、天竜川の上・中流地方で角材や板などに加工されていた。
しかし、江戸時代後期になると、掛塚の問屋が直接山で丸太を買い、河口で加工するようになった。そのため港周辺には木挽小屋が並んだ。
掛塚には、はじめ、木挽に必要な鋸鍛冶がいなかったので、金物商が近江(滋賀県)から大鋸を仕入れていた。しかし需要が増えたため、近江から職人を呼び、当地で製造を始めたのが「掛塚鋸」のおこりといわれている。
明治10~30年の全盛期には、五升屋・川村屋・鍋屋・マサ正・上カギなど10軒近くの鋸鍛冶があり、これだけ集中している所は、遠州では掛塚だけであった。
その後、機械鋸が全国に先がけて掛塚に導入されたため、木挽や鋸鍛冶は姿を消していった。

以上、掲示板による。

 

キーワード:鹿狩

『井伊家伝記』に「鹿狩」の話が出てくるのですが、学者は「鹿狩」を「ししがり」と読み、「しし」を「鹿や猪のこと」だとしています。

猪を捕る罠

六所神社(川名)の「シシウチ神事」では、木で作った「シシ」(鹿と猪)が用意され、神聖な鹿は殺されず、猪のみが矢で射られます。ということは、「鹿狩」とは、「猪狩」のことなのかな?

シシウチ神事(川名六所神社)

※井伊氏は藤原氏です。藤原氏の氏社は春日大社(奈良県奈良市春日野町)で、主祭神・武甕槌命が、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)から白鹿に乗って来たとされることから、鹿を神使として殺さない。

※諏訪大社(長野県)の御頭祭では、鹿を生贄として、首や内臓が奉納された。この理由を、主祭神・建御名方命が、国譲りの時、武甕槌命によって出雲国から追われた腹いせとする説がある。

仏教の殺生戒で、奮獣肉を公に食べるわけにはいかなかったとはいえ、サクラ(馬肉)、ボタン(猪肉)に加え、モミジ(鹿肉)という隠語(こっそりと肉を食べる時に使う言葉)もあるので、鹿も食べていたと思われます。(昨年の『真田丸』のパッパは熊皮の服を着ていたけど、初登場時の高瀬は鹿皮の服を着ていましたね。)

近藤氏の家紋と由来

近藤直満─満乗─満用─乗直─忠用─信用(康用)…

近藤氏の家紋は「鹿角」(丸之内抱鹿角)です。
近藤直満は、三河国八名郡宇利庄に移住し、彼の孫・満用と曾孫・乗直は、松平清康(徳川家康の祖父)に仕えました。
近藤乗直が松平清康に従って宇利の丸山で鹿狩をした時、近藤乗直は、鹿の角を握って押し倒したので、松平清康は、その腕力に驚き、

「向後、『鹿角』を以って家紋とすべし」
と仰せ付けられたそうです。
何が言いたいかというと、「鹿(しし)狩」の獲物は、猪だけではなく、鹿も含まれていたということです。

※松平清康が家臣に討たれる(いわゆる「守山(森山)崩れ」)と、今川義元は三河に進出し、近藤満用・乗直親子は、今川家臣となった。近藤乗直は、井田合戦の傷で足が不自由になったので、弟の近藤忠用が家督を継いだ。近藤忠用の子・近藤信用は、井伊家の与力として、「井伊谷七人衆」に加えられたが、徳川家康に寝返り、鈴木重時・菅沼忠久と共に徳川家康の遠江侵攻を助け、「井伊谷三人衆」と呼ばれた。さらに、近藤信用は、徳川家康から「康」の1字を頂き(偏諱)、近藤康用と改名した。

ドラマの「イノシシ狩り」の場面で奇妙に思ったのは、「イノシシはジャガイモが好物」「人間だけで狩りに行く」ということです。
「サツマイモが好物」とは聞いたことがありますが、ジャガイモは初耳です。ちなみに、罠には「米ぬか」を置いて誘うのが一般的かと。
あと、イノシシ狩りは、猟犬がいないと無理だと思います。

 

【撮影秘話】「ハクサイ(白菜)」

ぼたん鍋(しし鍋)の具は、猪肉に野菜、根菜、きのこ類、芋類、コンニャク、麩、豆腐と雑多。撮影でハクサイを入れようとしたところ、時代考証担当の学者が止めたという。戦国時代のハクサイは、中国からの輸入品で、領主ならば、気賀の貿易商に頼んで手に入れられるかもしれないが、庶民が気軽に口に出来る野菜ではなかった。

日本で初めてハクサイの栽培に成功したのは、キャベツやカリフラワーの普及にも関与した野崎徳四郎(愛知県名古屋市中川区大蟷螂町)で、明治28年(1895)のことである。現在は、この「野崎」(愛知白菜)に「松島」(宮城の渡辺穎二が大正13年(1924)年に松島の桂島での隔離栽培により栽培成功)、「加賀」(松下種苗店4代目・松下仁右衛門が昭和15年(1940)に栽培成功)を加えた「早生の愛知、中生の松島、晩生の加賀」が、「ハクサイ三大品種」として栽培されている。

延々と続くシシ垣

 

畑を野獣から守る電線

昔は、猪から畑を守るために、数キロ㍍に渡って「シシ垣」を築いたものですが、今は鉄柵とか、電線で防いでいます。

 

キーワード:悪党

「浪人の町・気賀」に屯する龍雲党の肩書は「盗賊」ですが、行為は「悪党」、身なり(服装、ファッション)は「かぶき者」っぽいですね。

相棒の『日本史広辞典』(山川出版社)に「盗賊」は載っていませんが、「悪党」「かぶき者」については、次のようにありました。

あくとう【悪党】 鎌倉後期~南北朝期に公武政権や荘園領主に敵対し、各地で蜂起した集団のこと。畿内やその周辺では荘園領主の力が強く、在地の武士の成長が押さえられた。荘園領主の支配に抵抗して年貢や公事(くじ)を納めない武士は訴えられ、悪党として幕府の検断の対象となった。夜討・強盗・山賊・海賊などは悪党の典型的な行動とされるが、商売や金融上のいざこざにもとづくものも少なくなかった。西国武士があわせもっていた商工業者、金融業者、交通・運輸業者などの側面が、まだうまく支配体系のなかに編成されていなかったことが悪党発生の一因。一四世紀後半、都市や分業が発達し、悪党が荘園領主の代官や守護の被官などに組織されるようになると消滅した。

 

かぶきもの【かぶき者】 江戸前期、江戸・京都などの都市を中心に活動した武士や武家奉公人・牢人者などからなる反体制的分子。かぶきとは偏った異様な行動や風俗をさすが、かぶき者の風体・歩き方・言葉などがそれにあたる。彼らは男としての意地や面目を守りぬくことを信条とし、組を結成して集団化し、血判起請して仲間内の固い団結を誇るなど、幕藩権力による社会統制に反抗した。かぶき者の階層は本来武家奉公人が中心だが、旗本奴(やっこ)や町奴のように、武士・町人層にも広く普及し、その風潮は公家社会にも浸透した。彼らは放火・殺人や集団間での闘争をくり返すなど、社会治安を乱す存在であることから、きびしい取締りの対象となった。

「悪党」は「鎌倉後期~南北朝期(中略)消滅した」とありますが、永禄3年8月5日に今川氏真が龍潭寺とその末寺に発給した寄進状風安堵状「遠州井伊谷龍潭寺之事」に、「悪黨以下号山林走入之處、住持尓無其届、於寺中不可成敗事」(犯罪者が「龍潭寺は山林(アジール)だ」と称して、龍潭寺に駆け込んだ場合、住職にその届無しに、寺中で成敗してはならない。)とありますので、「悪黨(党)」という言葉は戦国時代にもあったようです。

「頭はどうも侍の家の子のようだったんでさぁ」(by モグラ)

井伊直虎は、龍雲丸のバッグハグの感触が井伊直親に似ていたことから、

「もしや、亀のように追われ…亀のようには戻れず…あの者は…亀の代わりに井伊を守るために…」(by 井伊直虎)

と妄想しますが・・・短刀の謎を含め、ますます龍雲丸=井伊吉直説が高まっていますが、高瀬松下常慶を見る目も含めてミスリードかと。

「伏線」と言えば、前回、井伊直虎が、縛られて出来た右手首の傷を軽くみて、治療を拒否したのは、井伊直政が右肘関節(文献によっては右肩、左腕)に銃弾を受け、腕だからと軽くみたところ、その傷が原因で死んだ事の伏線か、「イノシシもほどほどにせねば」という祐椿尼の言葉は「イノシシのような井伊直虎が育てたので、猪突猛進型の井伊直政に育った」という伏線かと思いました。

が、後者の「イノシシ」は、今回のイノシシ鍋、「ほどほどにせねば」は、大虎(酒を飲んで泥酔する者)の伏線だったのかな。

あと前回の気賀での会話に
「こないだ盗んだあのでっけえお釈迦さん、ありゃどうした?」
「売っちまったよぉ」
とあったけど、あれは次回「盗賊は二度仏を盗む」の伏線なのでしょうね。

著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派で、武将ジャパンで井伊直虎特集を担当している。

主要キャラの史実解説&キャスト!

井伊直虎(柴咲コウさん)
井伊直盛(杉本哲太さん)
新野千賀(財前直見さん)
井伊直平(前田吟さん)
南渓和尚(小林薫さん)
井伊直親(三浦春馬さん)
小野政次(高橋一生さん)
しの(貫地谷しほりさん)
瀬戸方久(ムロツヨシさん)
井伊直満(宇梶剛士さん)
小野政直(吹越満さん)
新野左馬助(苅谷俊介さん)
奥山朝利(でんでんさん)
中野直由(筧利夫さん)
龍宮小僧(ナレ・中村梅雀さん)
今川義元(春風亭昇太さん)
今川氏真(尾上松也さん)
織田信長(市川海老蔵さん)
寿桂尼(浅丘ルリ子さん)
竹千代(徳川家康・阿部サダヲさん)
築山殿(瀬名姫)(菜々緒さん)
井伊直政(菅田将暉さん)
傑山宗俊(市原隼人さん)
番外編 井伊直虎男性説
昊天宗建(小松和重さん)
佐名と関口親永(花總まりさん)
高瀬姫(高橋ひかるさん)
松下常慶(和田正人さん)
松下清景
今村藤七郎(芹澤興人さん)
㉙僧・守源

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